はじめに
TOMOSUBAでは、世代や立場を越えた“共創知”の場づくりを企業・自治体とともに実践しています。
テクノロジーや価値観の変化が激しい時代、若者の感性とスピード、年長者の構造理解と長期視点をつなぎ、社会に新たな知の循環を生み出すプロジェクトを展開中です。
このような知的共創に関心のある企業様は、ぜひお気軽にご相談ください📩
縄文から江戸、そして現代へ──「人は時代とともに賢くなる」は本当か?
歴史を俯瞰してみれば、人類は間違いなく「賢く」なってきた。
狩猟採集の時代から、農耕社会、封建制度、近代国家、そして情報社会へ。
道具、文字、貨幣、科学、法、インフラ、そしてデジタルテクノロジー。私たちは知の積み重ねによって文明を進化させてきた。
縄文時代より江戸時代の方が「賢い」。
江戸より現代の方がさらに「賢い」。
この大きな時間軸の中では、時代が進むほど人類の知能や知識、社会の複雑さは間違いなく進化している。
では次の問いを投げかけてみたい。
「一時代」の中では、年長者の方が賢いとされてきた
私たちの日常感覚では、「年長者の方が賢い」と感じることが多い。
- 知識が豊富
- 経験に裏打ちされた判断力
- 洞察力、落ち着き、人間関係の機微の理解
つまり、時間を生きた分だけ、蓄積される“賢さ”があるという前提だ。
一時代を切り取れば、世代間の知識や価値観の差は緩やかであるため、年長者の“上位性”が成立してきた。
だが、いま私たちは「一時代」の中でさえ、価値観と知の地殻変動が起きている時代に生きている。
いま、たった10年で“時代”が変わるスピードに
かつて、縄文から江戸への変化には数千年が必要だった。
しかし現代では、スマートフォンの登場、SNSの浸透、生成AIの普及など、わずか10年で生活も思考様式も激変している。
こうした急速な変化の中で、“賢さ”の座が揺らぎ始めている。
もはや「一時代=30年」という常識が通用しない。
「一時代が10年以下に縮まった」と捉える方が、今の社会の実態に合っている。
その中で、「若い世代の方が、その時代に適応した“賢さ”を持っている」という現象が、確実に起きつつあるのだ。
そもそも、“賢さ”とは何か?
ここで改めて、「賢さ」という言葉を定義してみよう。
私たちが無意識に使っている“賢い”という評価には、実は複数の軸がある。
賢さの種類 | 説明 | 誰が優位か? |
---|---|---|
経験知 | 過去の出来事から学び、パターン認識ができる力 | 年長者(蓄積) |
処理能力 | 情報を整理し、適切な行動を素早く選べる力 | 若者(柔軟) |
技術適応力 | 新しい技術や文化に違和感なくなじみ、使いこなす力 | 若者(ネイティブ) |
多様性理解 | 異なる背景の他者を理解し、受け入れる柔軟性 | 若者(経験値次第) |
未来志向 | 今よりも先の社会を前提に行動や価値観を選べる視点 | 若者(構造的優位) |
歴史的洞察 | 長期視点で社会や人間の本質を見抜く力 | 年長者(俯瞰力) |
このように、“賢さ”は単なるIQや学歴では測れない、多面的な力の集合体だ。
そして今、そのうちのいくつかの力において、若者の優位性が現実化している。
年長者の“正しさ”が通用しない局面が増えている
テクノロジー・ジェンダー・働き方・家族観・倫理観・国際関係……
年長者が生きてきた「常識」は、すでに一部の若者たちにとっては“過去の遺物”になりつつある。
たとえば:
- 昭和的マネジメントや根性論が、若者の心を離れさせる
- Excelとメールの文化が、SlackとNotionに置き換わる
- 「正社員になることが安定」という信仰が、ポートフォリオワークに敗北する
これらはすべて、「何が賢い選択なのか」が世代によって変わってしまったことの表れだ。
では、年長者はもう“時代遅れ”なのか?
決してそうではない。
むしろ、若者と対話できる年長者ほど、社会にとって“知の翻訳者”として不可欠な存在になる。
歴史・倫理・大局観といった時間の厚みを持った知恵は、年長者にしか担えない部分もある。
問題は、その知が閉じてしまうことにある。
つまり、「昔はこうだった」「若者は分かっていない」という姿勢が、世代間の知の断絶を生む。
逆に、若者と共に学び合い、対話し、観察し続ける年長者は、時代の賢者としてリーダーたりうる。
そして若者も、過去を知らなければ“深み”を持てない
今の若者は、テクノロジーや価値観の変化には敏感だが、歴史的・哲学的文脈へのリーチが弱くなりがちでもある。
- “今”を読むのは得意でも、“長い時間”を読むのが難しい
- 「新しいこと」は得意でも、「継承すること」に苦手意識がある
若者にも、年長者の知を引き出し、自らの知と接続しようとする力が必要だ。
「賢さ」の世代逆転が起きているからこそ、求められるのは“共創知”
もはや「世代間の主従構造」では、社会の複雑さには対応できない。
これから必要なのは:
- 若者の感性やスピードに、年長者の構造理解と長期視点を掛け合わせること
- 一方向の教育ではなく、相互に教え合い、学び合う知の循環を生み出すこと
- “賢さ”の定義を、世代の差を越えて柔軟にアップデートし続けること
それが「共創知」であり、これからの時代を生き抜くための知性のかたちだ。
最後に:あなたの「賢さ」は、何に適応しているか?
あなたの“賢さ”は、今の時代に適応していますか?
それとも、過去の時代に最適化されたままではありませんか?
若者は、未来に最適化された知を持っている。
年長者は、過去から未来へ橋をかける知を持っている。
この二つが出会う場所に、社会の進化がある。
いま、私たち一人ひとりが問うべきなのは
「自分の知性は、いつの時代に属しているか?」なのかもしれない。